【四條畷】歴史で耳にする仁徳天皇陵の古墳より、さらに前に建てられた前方後円墳ここにあり!神社も歴史的貴重な存在。~忍陵(しのぶがおか)神社を探索~

忍陵神社は、四條畷市岡山2-7-12 (旧地名)河内国讃良郡甲可村大字岡山字忍岡三四九番地に所在しております。
最初は、ひとつの市に式内社が3つもあるという簡単な情報の元、足を運んでみたのですが…この、忍陵神社は多くの歴史にかかわり形を残されてるようです。

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 式内社 忍陵神社 (しのぶがおか)
当神社は今から1200余年前より当地域(岡山・岡山東・砂地区)の守護神 熊野皇大神(諸願成就・災難消除)、藤原鎌足公・大将軍神(日本最古の方除の神)・馬守大神(交通安全・家業繁栄)をおまつりしています。 古くは津桙社・大将軍社・馬守社と別々におまつりしてましたが明治・大正時代に三社が合祀され現在の社名に改称されました。また醍醐天皇の延長5年に定められた延喜式神明帳に記載された全国3132社にある延喜式内社(津桙神社)の1社でもある立派な鎮守様です。この歴史ある伝統文化にささえられてきた鎮主の森には、古墳時代前期(4世紀)の前方後円墳の石積み石室が現存され、府下でも貴重な文化財であり戦国時代には当地が軍事上大変重要な地に選ばれ、歴史上何度となく登場する処でありますが特に大阪夏の陣では徳川方の本陣が設営され徳川幕府成立に大きな役割をなした場所でもあり縁起のいい処として、岡勝山と称された由緒ある鎮守の森でもあります。

【年間の主行事: 1月1日歳旦祭 1月15日左義長(焼納祭) 2月3日節分祭 6月30日大袚 10月10日秋祭り 11月15日七五三 12月31日大袚 毎月1日・15日は月次祭】
社務所 電話 77-1850番

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 もはや勝利は岡山の陣の岡勝山

中世期には地域豪族の岡城であったという。1615年5月の大阪の夏の陣には、徳川秀忠が本陣をしく。江戸期には忍岡を岡勝山とも呼んだ。

中学の歴史教科書に登場してくるキーワード大阪の陣。思わず受験の日々を思い出したのか「ほぉ~♪」のひとこと。

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 忍陵神社(SHINOBUGAOKA SHRINE)

鎮座地 四條畷市岡山2丁目7番12号 旧地名河内国讃良郡甲可村大字岡山字忍岡349番地
御祭神 熊野皇大神(くまのすめおおかみ) 藤原鎌足公(ふじわらのかまたりこう) 馬守大神(まもりおおかみ) 大将軍神(だいしょうぐんしん)
由緒沿革 岡山村鎮座津桙社・砂東村鎮座馬守社・砂西村鎮座大将軍社を明治44年12月8日国の合祀指令により津桙神社に合祀し地名に因んで忍陵神社と改称し現在に至る。

津桙神社(TSUBOKO)
旧鎮座地 甲可村大字岡山字八幡山1260番地
河内国讃良郡6座の1つである延喜式内社 創建時は当地の豪族津桙氏の氏神であったが江戸期の神社縁起によると人王40代天武朝に熊野三山より熊野大神を勧請しお祀りしたと記され鎌足社は武運長久を祈って寛永11年に忍陵の古墳上にお祀りされた。

馬守神社(MAMORI)
旧鎮座地 甲可村大字砂字宮田162番地
創建年代は不詳であるが当地域は娑羅羅馬飼部・菟野馬飼部の居住地であった事より馬の成育を祈って建立されたと語り伝えられている。又斉明天皇行幸地、人巧皇后軍馬の安全祈願所とも云われている。

大将軍神社(DAISYUGUN)
旧鎮座地 甲可村大字字砂字中道231番地
創建年代不詳 方位の神として日本最古の方除守護神である大将軍神を祀る。

◎史跡(historic spot)忍陵古墳(sinobugaoka old mound)
社殿の東側覆屋内に古墳時代前期の前方後円墳があり竪穴式石室が現存されている。埋葬者については不詳であるが江戸時代の古書には王子の墓と記されている。

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 たまたま朝の準備をしてる時に管理されてる方に会い、「今なら、中の写真撮ってもいいよ。」と、許可を頂き参拝を兼ねて神社の中を撮らせて頂きました。

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 管理の方と少し話をしていて。拝殿の横にある古墳は仁徳天皇の古墳より前に建てられたものだと語られており、
歴史的観点からももっと重宝されてもおかしくはないものらしい。
そしてこの四條畷の地に式内社が3つあるということもホントに稀に無いケース。
大東市は須波麻神社が唯一式内社に指定されてる場所だということも教えて頂きました。

下の写真の建物の中に、歴史ある仁徳天皇の前方後円墳より歴史的前にあったと断定されている古墳が保存されてます。

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忍岡古墳 (大阪府指定史跡) Historic:Sinobugaoka Tumulus
この古墳は、古墳時代前期(4世紀中ごろ)に築造された全長87mの前方後円墳です。標高36メートル、河内平野を一望できるこの場所に豪族が豪華な副葬品とともに葬られていたのです。
古墳の発見は、昭和9(1934)年の室戸台風によって忍陵神社が倒壊し、その再建工事中に石室が発見されたことにはじまります。
 翌年、京都大学によって発掘調査されました。石室は、長さ6m・幅1mで、板状の石を丁寧に積み上げた立派な竪穴式石室でした。近年の研究で兵庫県猪名川産の石が使われている事がわかりました。副葬品は紡錘車(ぼうそいしゃ)・鍬形石(くわがたいし)・石釧(いしくろ)や小札(こざね)・剣(けん)・鉾(ほこ)・刀子(とうす)・矢じり・鎌(かま)などが見つかりました(京都大学総合博物館蔵)。同年地域の方々の熱意で覆屋(おおいや)が建てられ保存されました。
 長い間石室を保護した覆屋ですが、平成7(1995)年の震災によって傾いたのを機に覆屋(おおいや)再建が計画されました。地域の方々の寄付を基盤に石室が保存され見学できるのは郷土の誇りです。

大阪府教育委員会
四條畷教育委員会
畷古文化研究保存会

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 帰りは古墳から下りつながる鳥居の方を行きました。

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 これまた!大きな燈籠です。

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 勇壮な豪族ねむる忍岡古墳
昭和9年、室戸台風のあと修復中の社殿下から石室を発見。前方後円墳の全長は八七メートル。大阪でも著名な前期古墳で、府指定史跡。

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 少し文学的に賢くなれた時間を過ごさせて頂きました。歴史を残せていけるということは地域の方とも密に連携をとらないと出来ないこと、と管理の方が話されておりました。
皆さんも何気ないとこからの神社参拝などいかがでしょうか。新たな発見が目に入ってくるかもしれませんよ。

 

(亮)

2015/08/19 15:00 2019/01/29 19:36
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