【大東】「すみよしさん」で親しまれている「住吉神社」は昭和初期には寝屋川岸につき出して建てられていた!「住道」の発展はこの地「角堂浜」から始まった!

 

大東市の浜町に「住吉神社」が鎮座しております。

住道駅北口の川に向かい寝屋川と恩智川合流地点の内側にあり、現在は死角になって気付きにくい所と感じました。

正直、恩地川も…寝屋川とだけしか把握してなかったので、後で地図を見て合流してるとこに「住吉神社」がある、なるほどと思った次第です。

 

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地元大東市に住みながらも知識がなく、小学校の授業で大東水害訴訟を習い、1972年(昭和47年)と1976年(昭和51年)にこの川が氾濫して大変だったというようなことだけ記憶に残っております。

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   住吉神社  ~「住道」地名の由来~
 舟運送が盛んであった頃、寝屋川と恩智川が合流するこの地は、角堂浜と呼ばれ、 大阪と北河内大和の荷物が一手に集まり、野崎まいりや生駒宝山寺への社寺参詣にも舟が利用されたので、 大いに賑わっていた。
   舟運には、長さ十一間三尺(約二十一メートル)、幅一間一尺二寸(約二・二メートル)、深さ一尺四寸(約0・四メートル)の 剣先船が使用され、運航する区域により、それぞれ古剣先船・新剣先船・在郷剣先船と呼んでいた。
 「住吉さん」と親しく呼ばれている当社は、昭和初期には寝屋川岸につき出して建てられていた。 船運送が盛んであった頃、荷物の集散地として寝屋川筋には観音井路浜、津之辺浜、恩智川筋には中垣内浜、 寺川浜などがあった。それらをさらにまとめたのかこの地角堂浜(すみのどうはま)であった。
 住吉さんと親しく呼ばれている当社は、このような舟運との関係で、 航海守護の神である住吉大社から勧請されたものであろう。 祭日は本社と同じ七月三十一日、八月一日で、夏の夕涼みを兼ねた縁日は大変な賑わいであった。
 寝屋川岸に建てられていた当社であるが、昭和四十七年の 水害後、川岸の様子はすっかり変わってしまい、社殿も三方を コンクリートの壁で囲む現在のような形となった。
 今はひっそりと建つ住吉神社であるが、社殿のあるこの地、角堂浜が「すみのどう」地名の由来地であり、 現在の住道の繁栄は、ここから始まったといえよう。
       平成二十二年三月 大東市教育委員会

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勝手な推測なのですが、 「角堂浜」+「住吉神社」→「住道」+「浜町」みたいなことでしょうか?

「住道」がこの場所から繁栄していったことは確かなようです。

 

住吉神社、すみよしさんの位置はこちらです。

 

(亮)

nami

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