【大東】伊勢皇太神宮への献灯を意味するおかげ燈籠。大東市にある七基のうち、諸福一丁目にある一基。
大東市諸福1丁目7-8の民家と隣接し際どい通路(古堤街道)におかげ燈籠が1基あります。
大東市は、市内の東西を諸福から中垣内までの古道。元禄期以来「野崎まいり」も盛んであった。
古堤街道は、京街道(明治18年国道に定める國道第二號路線)の大阪城北側(現片町1丁目)付近から寝屋川沿いに、今福・徳庵を経て、諸福、太子田、赤井、下野、御供田を通って中垣内、龍間、そして、2つに分かれ、右は、暗峠越えの道と合流する。左は田原の古道より生駒へ。大阪から奈良北部に続く大和街道。明治時代になって古堤街道と正式に命名。
10 石灯籠 (「天照太神宮」「天保卯ニ月吉日」「河州諸福村」おかげ踊りの記念碑)
カルタの句 『 ええじゃないか お伊勢参り おかげ灯籠 』
大東市のおかげ燈籠は七ヶ所ある。おかげ燈籠とは伊勢皇太神宮への献灯を意味する。江戸期には神仏詣でが民衆の間に浸透し中でも盛大なのがお伊勢参りがあり、沿道の人々の施しをうけて参拝したのでおかげ参りと呼ばれている。伊勢参りは60年周期に起こったとされるが文政十三年(1830)の場合は、おかげ参りと共に河内大和一帯ではおかげ踊りと呼ばれ、阿波踊りに似た民衆の乱舞があった。枚方に始まり当地に及び大和に波及し、北河内に環流する。この乱舞、流行の鎮まりを見た天保二年(1831)当村の村政指導者たちは安堵し、村中安全を祈念して、この石燈籠を建立した。当市のおかげ燈籠七基のうち五基までは、文政十三年のおかげ踊りを契機に造られた。
◎「大東のふるさと」 カルタウォーク ~古堤街道を歩く①~より。
(亮)