【大東】大東市に3ヶ所ある菅原神社。そのうちの御領菅原神社に立ち寄ってみました。
古い家並みと水路の風景がひっそりと残る御領。
その昔、朝廷の供御領もしくは室町幕府の御料所であったという説がありましたが、天正十二年(1584)「河内国御蔵入帳」に「五里やう村」と記されるのが地誌の初見で、これが転じて御領と書かれるようになったという説が有力だそうです。
御領の鎮守は集落の中心にある菅原神社ですが、ここから東へ約500mの場所に御領神社と呼ばれる小さな神社があり、正式には「おかみ神社」といい、「おかみ」とは「大神」の事ですが、この”おかみ”は「雨の下に口口口その下に龍」と書く特殊な字を書きます。このおかみ神社のある場所はかつて深野池に浮かぶ島であり、干拓後は御領の中心だった場所で、集落はこのおかみ神社から西へと拡大していったそうです。
◎一期一会・古い町並み集落より。
神社の周りに水路が通ってて 船着き場ありで何やら楽しげなイメージを浮かばせてくれます。
境内には立派なクスノキがそびえたっております。
本殿と拝殿があり、祭日は10月20日である。 当社は明治12年、当時の金額で255円を投じて改築しており、その時の設計図も残っている。 鳥居は安永七年(一七七八)のがある。 さて当社として注目されるのは宮座である。御領の開拓者だといわれる11軒により構成され、 その中から1年交替で神主役を務め、これを一年神主と呼んでいたが、現在は特定の家がこれに当っている。 また宮座の時に掛ける木札も残っている。 これは京都の吉田神社から下附されたもので、年号はないが、 慶応四年(一八六八)の烏羽伏見の戦の時、 敗れた旧幕軍の残党がこの地方で乱暴を働きかけたので、この札を見せるとおとなしくなったといわれる。
◎大東我が街より
境内にレトロ感あふれるポンプ車までありました。
(亮)