【四條畷】おそらく大東・四條畷では一番の長さ!入り口付近前を通るだけでは、長さを感じさせないのに立ち寄ろうとしたとたんに、気付く!?とてつもなく階段の長ぁ~い長ぁ~い神社。住吉平田神社。
住吉平田神社は大阪府四條畷市南野2-18-26に所在しております。
ここら辺は四條畷神社、住吉平田神社、少し歩いて御机神社、龍尾寺と横列に並んでる地帯で、ハイキングルートついでにでも立ち寄ると良いかもしれないですね。
住吉平田神社の鳥居の前はよく通り過ぎてたんですが。木に隠れた階段の行く先を見たことがなかったもので、今回初めて立ち寄らせて頂き…階段の長さに!「ほぉ~ッ♪」って思わず声を出しました。(笑)
[住吉平田神社]
祭 神
住吉神社・・・底筒男尊・中筒男尊・表筒男尊の住吉三神
平田神社・・・平田大神
附属社の祭神
八坂神社・・・素戔嗚尊
神明神社・・・天照大神
八幡神社・・・神宮皇后
稲荷神社・・・倉稲魂・猿田彦命・大宮女神
祭 日
祈願祭 毎年2月17日 但し 新年度初頭の吉日とす
夏祭 7月31日 式典 同日
秋祭 10月17日 式典 10月16日
氏地 (旧称)畑・中津川・川崎・楠公・雁屋・二丁通
略 記
神社由緒記によると、寛平・延喜(889~901年)より飯盛の麓に鎮座し給うとあるも、その住昔を知らずとある。したがって創建は詳らかでないが700~1000年前の創建と推定せられる。南野村改邑鑑によると(文化12年[1815年])住吉大明神の神主、京都吉田家より元和文甲中(1730年)受領せるとあり、そのころ住吉神社と平田神社と合祀して改名せられたものと推定せられる。(住吉平田神社となる。)(伝承では住吉神社は飯盛山麓・・・「現在地より稍々西の方に」平田神社は楠公町の北側・・・現呼称南野平田に各々所在していたという。)
改めて階段を振り返ると「ほぉ~ッ♪」ですね。少年野球の子供達もこの階段を何往復もしてるの見かけたことあります。
◎手水舎
◎八坂神社・・・素戔嗚尊
住吉大神・平田大神を祭神としており、南野村の『庄屋重右衛門』の嘉永6年(1853年)の覚書に『平田住吉明神』と記されていること等から、寛延年間(1748~51年)に住吉神社と平田神社を合祀したものではないかと、考えられているのだそうです。 社殿は新しく、平成2年に再建立されたものだそうです。本殿は、一間社春日造銅板葺です。 境内にある石燈籠は、寛文12年(1672年)に造られたもので、四条畷市では最古のものだということです。また狛犬には、万延元年(1860年)の銘が刻まれています。 なお、楠木正行始め一族の将士24名を祀るための神社を創建すべく、運動を展開したのは、当時の住吉平田神社の神主三牧文吾だったといわれています。
※浪速ぶらり探訪より。
この、狛犬は御机神社のものと関連があるようで、そっくりだと、本で紹介されてるの見かけたことがあります。僕にはあまり理解できなかったのですが、尾に特徴があり詳しい人は誰が作ったものかも分かるようですよ。
◎神明神社・・・天照大神
◎八幡神社・・・神宮皇后[誉田別尊(ほむたわけのみこと)]→住吉三神とともに住吉大神の1柱として、また応神天皇とともに八幡三神の1柱(祭神)として信仰されるようになる。
そして住吉平田神社の稲荷神社は、見逃しそうになる小道の入り口をたどっていきます。
最初に登ってきた長い階段の右手前方に見える小道の入り口がそうです。5~60m歩くと稲荷神社が見えてきます。
◎稲荷神社・・・倉稲魂・猿田彦命・大宮女神
下につながって行く階段がありました。別ルートからも、この住吉平田神社・稲荷神社にたどり着くようです。
住吉平田神社に向かう途中の、四條畷神社の石道標を入っていけば住吉平田神社の稲荷神社にも通ずる道があると発見しました。
こちらから住吉平田神社に向かう階段を通ると、なんと四條畷神社の本殿の後姿を見れて、稲荷神社にたどり着く景色が見れます。
少し、裏ルートのような感覚が芽生えました。…(笑)。
体力少しいりますが、長い階段よければ体験してみませんか(笑)。
(亮)