【大東】地元、龍の語り継がれる場所。~龍伝説のもの寂しい跡地…今は、大東市指定文化財の延命地蔵と弘法大師石造座像が存在しています。~

 大東市に存在する龍伝説。話による龍の頭が落ちた(龍頭寺)龍光寺。
寺として存続する龍尾寺(四条畷南野)には寺宝である龍の尻尾であろうというものが存在してるらしいです。そして、こちらにも!もしかすれば龍の頭部があるのではとワクワク感をもって探しに行ってみました。

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 階段を登って左手にちょっとした広場が出てきて、その奥に延命地蔵と弘法大師石造座像があります。

 龍光寺の石柱に宗派は、曹洞宗と書かれてたような…。そしてこちらの右祠に弘法大師石造座像があるんですが。
弘法大師(空海)といえば真言宗でしたよね…不思議です。単純に仲が良かっただけで他宗派の像は置かないでしょうから、何らかの歴史背景があったのかも知れません。

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 石造地蔵菩薩立像(延徳銘地蔵):幅65センチ・高さ128センチ大の舟型光背石に、身丈86センチの半肉彫りである。右手に錫杖、左手に宝珠を持つ一般的な形。

延徳銘地蔵は、「延徳二年庚戌三月」(延徳2年は1490年)という造像銘があることから、このように呼ばれているのだそうです。  当時は、戦国武将による覇権争いや、土一揆などが頻繁におこっていた、乱世だったと伝えられています。そのような時代であっただけに、地蔵尊が延命だけではなく、死後の守り仏としても尊崇され、神仏習合の影響から、防疫の神としても崇敬されて、民衆の間に地蔵信仰が広まってきたといわれています。  延徳銘地蔵は、右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、舟型光背を背負った姿の地蔵で、大東市内では最古のものとされ、当時の民間信仰を知る貴重なものとして、市の文化財に指定されています。

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 こちらが、弘法大師石造座像です。少し覗き込みながら写真撮らせていただきました。

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延宝7年(1679年)の『河内鑑名所記』には、敏達天皇(572~585年)の勅願により、『源頼朝』が建立したとあるそうですが、龍伝説にからんで、『龍間寺』や『龍尾寺(四條畷市)』同様、『行基』の創建だという説もあり、定かではないようです。寺銘碑を見ると、曹洞宗に属していたようです。  記録によれば、龍光寺は度々の兵火に遭って、建物が全て焼失したのだそうですが、正保2年(1645年)に、僧『玄光』が再興したと伝えられています。しかしその後、長年無住であったため荒廃し、本堂や庫裏も取り壊されてしまったのだそうです。

仮本堂と十三重塔。

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現在も無住であり、境内の隅に仮の本堂が建てられ、本尊の『十一面千手観世音菩薩像』を祀っているそうですが、ほぼ廃寺状態にあるといわれています。仮本堂の横に、十三重塔が立っていますが、その傍らに、かつての本堂の鬼瓦が置いてあり、わずかに旧龍光寺の名残を、とどめているようです。また付近には、往時を偲ばせる、『土堂(つちんどう)』や『無念堂』などの地名も残っているそうです。

※上記黒線四角枠は、浪花ぶらり探訪から。

しかしながら、上記述にあった龍光寺本堂の鬼瓦が見当たりませんでした。本来なら下写真の塔の階段隣にあるべきはずなのですが…残念です。

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 塔の横に刻まれたデザインも、残念でした・お疲れ様です・あっかんべ~ぇ、と言わんばかりの表情で、なにやら諭(さと)してくれております。(笑)

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(亮)

nami

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