【大東・四條畷】飯盛山山頂までの快適ルート&楠公寺までの道のりをたどって、歴史ウォーク・トレーニングウォーク楽しめます。
北条神社のすぐ横に飯盛山山頂に続くハイキング道があります。
こちらは、景観が良くコースがいいのでかなり心身共に思った以上に楽に登山できると思います。
道も要所要所のポイントに、ちょっとガンバろかぁ~!って言うトコ登場するので飽きないんでしょうね。
このコースは消防士さんなどトレーニングで利用したりすると、噂で聞いたことがあります。
気軽で運動になるのは魅力的ですね。
歩いて30~40分山頂付近に到着。近くに感じても山の上、この日は雪が残っておりました。
登ってほっとしたのか、 雪が砂糖のようにまぶされていて、少し美味しいそうなデザートに見えてしまいました。
こちら山頂の楠木 正行(くすのき まさつら)の像です。
飯盛山上址の標石と飯盛(or飯盛山)城跡マップです。
【飯盛城】
飯盛城は、生駒山地の北部にそびえる標高314mの飯盛山に築かれた中世の山城です。
飯盛山は、東側に深い谷を有し、北と西側は非常に険しく、また河内平野や遠くは京都まで一望できることから、軍事的に重要な場所とされていました。
そのため、南北朝時代には城が築かれたと推定され、本格的に整ったのは畠山の家臣、木沢長政が居城とした享禄4年(1531)の頃とされています。
その後、交野の土豪であった安見直政が城主の時期もありましたが、永禄3年(1560)には室町幕府の実力者であった三好長慶が畿内平定の本拠地として入城し、政治・文化の中心地となりました。
また、長慶はキリスト教にも寛容で城下での布教を許可し、多くの家臣がこの城で洗礼を受けています。(河内キリシタン)
長慶が城主であった全盛期には、南北約1200m、東西約500mの城域に、大小約70の郭(防御するための場所)が築かれていたとされ、全国でも有数の山城といえます。
しかし、長慶も入城後4年後に亡くなり、天正4年(1576)頃には、織田信長の勢力によって廃城になりました。
平成22年2月
大東市教育委員会
石碑の 表に、「南無妙法蓮華経 陣没勇士碑 建武・正平・天正年間」。裏に「藤田芳松建」。と、書かれているらしい。勝手な想像ですが山頂に楠木正行の石像が建っているのでその兵士達の碑なのでは、と思います。おそらく。
ここが、虎口ということはすでに本丸千畳敷郭を通り過(す)ぎてますね。
そもそも字の難しさが頭を過(よ)ぎり頭パンパンです。ちなみにこの「郭」の字も(くるわ)と読みます(かく)とも読みます。何事も使い分けですかね(笑)。
虎口から本丸千畳敷郭に戻りながら、八大龍王の裏に繋がる道を発見して歩きました。ある意味、裏ルートかもしれないです。案内板に書かれていないルートでしたもので…山道の下りで行けました。抜け出た道が下の写真です。
するとまた発見!だいたい狐のお稲荷さんが、目に入ったりするんですが、これはどう見ても狸のような気がします。いや、明らかに狸でしょ(笑)。これも珍しいといえば珍しい部類に入ると思いますよ。
こちらが、飯盛城マップによる馬場跡だったと表記がある楠公寺。
ハイキングをされる方の休憩ポイントでも多く利用されております。自販機があるので、水分に困る事はないです。
何気にハイキングもいいですし、歴史ウォーキングにもお勧めかと思います。
場所はこちら。
(亮)
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