【大東】マップによって呼び方様々。「メノコ橋」?「ネロコ橋」?「ネノコ橋」?えぇ~っ何・なに・ナニ?くらい違う!皆さんのマップではどう表記されてますか?
写真に収められなかった分も御座いますが、同じ場所なのにマップによって微妙に表記が違うもの発見しました。
僕が見た限りでは、「メノコ橋」・「ネロコ橋」・「ネノコ橋」3種類もありました!
と言う事で、現地に立ち寄ってみました。
おもいっきり!「メノコ橋」と書いております。
おぉ~!地図の誤表記かぁ?大発見ぇ~んッ♪
と喜んだのも束の間、調べると…そうでもなかったんです。
ちょっとした、ぬか喜びで御座いました。
この欄干は、東高野街道にかかっていたメノコ橋の名残です。
「明治37年8月築架」「メノコ橋」と銘が刻まれています。かつてここには井路がありましたが、昭和50年から始まった東部配水場建設工事により井路がなくなり、欄干だけが残されました。
メノコ橋が架かっていた東高野街道は古くから京都と高野さんを結ぶ道で、平安時代初期唐から帰国し真言宗を開いた、弘法大師空海(774~835)が、高野山に金剛峯寺を建てると、貴族たちがこの道を使って高野詣でをしたことで発達してきました。
橋の名前はこのあたりの地名「メノコ」によるもので、その一風変わった名前の由来には、次のような話が伝わっております。
空海はその修業時代に、この地を訪れ、周囲の山中で修業をしたといわれております。滞在した10日間ほどの夜、ここを寝床として、橋の欄干を枕に休まれたとされ、そこで寝床(ネドコ)が訛ってネノコ橋となり、いつの頃からか、メノコ橋と呼ぶようになったということです。
東高野街道沿いには、この様な空海にまつわる伝説が残っております。
平成26年 大東市教育委員会
結論は「寝床」が、訛(なま)り伝わったもの…皆さんの地図の表記はいかがでしょうか?((笑))
メノコ橋の位置はこのあたりです。
(亮)