【四條畷】四條畷市にある3つのうちの式内社(しきないしゃ)有名どころのひとつ国中神社。春を感じながらの散策
四条畷市に3か所ある式内社の四条畷清滝に所在する国中神社に行ってきました。
まず、この式内社は北河内でも十数件しかないのですが、それが四条畷市に3ヶ所あるというのも、稀で貴重な存在といわれてます。
写真は春先の時期のものですが、桜の綺麗な時に足を運べてラッキーでした。しかしこちらの神社の階段の勾配が汗ばむほどきついです。
こちらが 国中神社拝殿と境内摂社です。
式内 国中神社
鎮座地 大阪府四条畷市清滝中町四番四八号
(旧地名 河内国讃良郡甲可村大字中野字大上山九二三番地)
由緒・沿革
当神社の創建年代は不詳ですが、九二七年に選定された延喜式神明帳には河内国讃良郡鎮座と記載されており古くから当地域の産土神として崇拝されてきました。
国中と云う名の如くこの地域の中心として鎮座違創建時よりも一度も移動した記述は無く四神相応の御鎮座地として最適な処であった事が今日でも明白であります。
又、明治以前には、この地域の人達は口伝ですが別名大蛇宮と称していたとの記述もあります。
旧社殿は一六七三年頃の建築でありましたが、一七七九年に修理した記録に続き一八三三年にも修理した記録があり、その後一九五四年に大改修の記録があります。
尚、近年に至り御社殿の荒廃が激しく二〇〇〇年十二月大改修すると共に神具庫・末社を再建し社務所については一九九四年三月焼失の為、一九九五年五月に再建し現在に至っております。
御祭神
國常立尊、天照皇大神猿田彦大神 (大正六年二月(一九一八年)逢阪村鎮座大上宮神社より遷座)
菅原道真公 (境内若宮社が寛永年間(一八五〇年頃)に倒壊したことにより合祀)
境内末社
三神社 御祭神 天照皇大神、八幡大神、春日大神
両宮社 御祭神 天照皇大神、豊受大神
吉備社 御祭神 吉備大神 (明治五年四月(一八七二年)清滝村より遷座)
祇園社 御祭神 素戔嗚尊 (明治五年四月(一八七二年)中野村より遷座)
稲荷社 御祭神 稲倉大神 (明治五年四月(一八七二年)中野村より遷座)
神社への南側からの登り口の脇の手洗い鉢の後ろに立っている大きな石は石棺の蓋がこの石であると説明記されてます。
階段の勾配は厳しいですが
足を運ぶにふさわしい神社だと感じました。
(亮)