【四條畷】住宅地に囲まれいるデッカイ池!?砂の地域に迷い込み、河内街道の石標の道しるべを発見。付近に連なるお寺とお堂でちょっとした歴史散策。
住宅地に囲まれたデッカイ池が目に入ってきました。これはこれでかなり珍しい光景かと感心しておりました。
大正寺付近にある新池というところです。
そこから道を下って細道を通り、砂という地域に迷い当りました。そこで、偶然に石道標を発見。
「右北河内街道堀溝道、左河内街道楠公住道八尾道」(大阪府)。と記してあるらしい。この表記は後で調べて分かりました。
だいぶ文字もうっすらとしてたので正直分かりませんでした…道標なのに(笑)。
砂は条里制のしかれたところで一条の中垣内からはじまって、このあたりは八条ぐらいになるだろうといわれているそうです。
この石道標付近に光円寺が所在しております。前を通るだけでやたら犬にワンワン♪吠えられ唯一下の写真だけ撮れました。
◎光円寺(浄土真宗)
天正四年(1576)僧行顕の創建。本尊阿弥陀如来像。その右側に宗祖親鸞の座画像、聖徳太子立画像。左側に真宗中興の祖・蓮如上人座画像、浄土教を広めた印度・中国・日本の高僧・七高僧各像。光円寺の隣りに「本行寺(真宗)」があったが、明治十五年に合祀した。境内に「本行寺跡」の碑がある。
光円寺を見つけるとすぐに、以前除夜の鐘で取材させて頂いた妙法寺にたどり着きました。
◎妙法寺
「右河内街道」、「左河内街道」道標(明治35年5月新設大阪府)
妙法寺は、日蓮宗の寺で元和3年(1617)建立と寺伝にある。キリシタンの中心地ではないかといわれているところである。立て札・カルタの句碑 ザヴィエルの来航に続いて、数多くの宣教師がきて、各地に布教した。1582年には国内信徒数15万、うち砂・岡山に3500人の信徒があり、教会、十字架が建っていたことなど、当地領主の結城(ゆうき)の名とともに、耶蘇会士通信文の中に伝えられている。 永禄2年(1559)パードレのガスパル・ヴィレラが入京してきた。飯盛山城主三好長慶(みよしながよし)は布教を許した。その家臣、武士およそ500人はロレンソの布教によって洗礼を受けている。その頃、岡山領主結城左衛門尉(ゆうきさえもんのじょう)も、また父と共にフロイス、ヴィレラ等の宣教師によってキリシタンとなった。結城ジョアンは岡山会堂を建築し、美しい十字架を建てたが、キリシタン全盛も落日のうき目をみなければならなかった。それは豊臣秀吉が天正15年(1587)6月禁教令を出したためである。隠れキリシタンは次々に処刑された。その仕置場があった。今でも毎年8月12日に、その人たちのための供養する「市」が開かれている。
妙法寺からすぐのところに、
◎大師堂と 横に双体地蔵(地蔵と阿弥陀如来) 愛宕地蔵堂
そして、ここからすぐの駐車場の入り口に、
◎無縁霊の供養堂
※黒四角枠は四條畷郷土史カルタウォークより。
四條畷市や大東市には、昔ながらの街道を歩くと、まだまだ色々な歴史的なものがたくさんあります。もし道に迷われたときは、僕のように気休めで探してみると、新たな発見に繋がるかもしれませんよ。気の紛れにお勧めいたします。
◎関連事項
【四條畷】大正寺(だいしょうじ)、境内の桜の木。枝からも本体の身近なところからもにょきにょき♪花が咲いております。
【四條畷】大晦日は創建400年近い蓮華山妙法寺で除夜の鐘を撞きませんか。
(亮)