【大東】北河内最古の層塔の九重層塔を見に野崎観音に向かったところ、他にも色々と素晴らしいものを発見!!見学してまいりました。
野崎観音で知られているお寺の正式名は、福聚山慈眼寺(ふくじゅさんじげんじ)といい禅宗のお寺です。こちらに、大東市指定文化財の九重層塔があるので訪ねてみました。
ちょうど冷え込む前の晴れの良き日に写真が撮れたので紅葉も際立ってなんとも風流でした。
◎三十三所観音堂
西国礼所一番那智山から、三十三番谷汲山までの観音様をおまつりしています。このお堂にお参りになれば、三十三霊場を一度に拝むことができます。
◎羅漢堂・十六羅漢像
羅漢とは釈迦の十六人の高弟のことであり、野崎観音の十六羅漢は、江戸時代から「のざきかんのん十六羅漢、うちの親父は働かん」と子どもの遊び唄にまで親しまれ、観音様と共に信仰を集めてきました。昭和二十六年に山崩れに遭い、羅漢堂は流失し、尊像も著しく損傷を受けましたが平成十八年、修復が完成し、仮羅漢堂に一時安置しております。また、釈迦如来像は薬師堂に仮安置しております
◎お染久松の塚
野崎観音は、お染久松を主題にした近松半二「新版歌祭文」をはじめ、近松門左衛門「女殺油地獄」、落語「のざき詣り」、東海林太郎「野崎小唄」などで広く知られている。
野崎村の久作には、養子の久松(ひさまつ)と、女房の連れ子のお光(おみつ)がいた。久作は気立ての優しいお光を、久松の嫁にしようとしていた。
一方、久松は奉公に出た大阪の油問屋の娘、お染(おそめ)と知り合い、恋に落ちる。それをねたまれ、久松が油問屋から帰されてきたので、久作は早速久松とお光の祝言を挙げようとする。
久松のことを以前から慕っていたお光が婚礼の支度をしている所へ、大阪からお染が「野崎まいり」にかこつけて久松に会いに来た。久松との関係に気付いたお光は、お染を追い返そうとし、久松と言い争いになる…。養父への義理から別れ話を持ち出す久松と二人きりになったお染は、自害しようとする。それを見て、久松は二人で死ぬことを約束する。そこへ、事の成り行きをみていた久作に人の道に反していると諭され、二人は別れを誓うが、お互い心中の覚悟を決めていた。
祝言の席でお光が綿帽子を取ると、髪を切り尼の姿になっていた。お光は二人の心を察し、自分が身を引けば、二人が幸せになれると考えたのだった。それを見ていた、お染の母親お勝(おかつ)はお光に礼を述べ、二人の仲を認め、二人は油屋へ帰っていく。二人の無事を祈り、その姿を見送りつつ、お光は泣き崩れるのであった。
石造九重層塔:当石塔は昭和初期まで九層でしたが、現在は最上層と相輪を失って、高さ280センチの八重層塔となっています。 造立銘は永仁2年(1294年)とあり、74字の金石文を礎石に刻する北河内最古の層塔です。大東市指定文化財。
各、上記の場所説明は野崎観音慈眼寺より。
(亮)