【大東】地元、龍の語り継がれる場所。~龍間寺観音堂~歴史の扉と思いきや自動扉が…龍間寺の十一面千手観世音菩薩が移設安置されてる称迎寺(しょうこうじ)。

大阪府大東市龍間1284−1に称迎寺(しょうこうじ)は鎮座しております。

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 ちょうどこちらに行くきっかけが、大東市にまつわる(龍光寺・龍間寺跡・龍尾寺)龍伝説をたどりというのが目的で、こちらに廃寺となった龍間寺の十一面千手観世音菩薩が移行され、龍間寺観音堂があると耳にしたので、立ち寄らせて頂きました。

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称迎寺は、文禄3年(1594年)に、『全誉和尚』により創建されたと、伝えられていますが、他方では、元和2年(1616年)に、龍間地区住民の有志が念仏講をつくり、茅葺の小堂を建て、『六斎念仏』の法要を勤めたのが、創始であるという説もあり、元は大念仏宗だった『佐太・来迎寺』(守口市)の末寺だったそうですが、『来迎寺』が浄土宗知恩院派に転じたとき、称迎寺もそれに従って、改宗したといわれています。 称迎寺は近年まで龍間の北谷(『一石六地蔵』の近く)にあり、本堂は江戸中期頃の、念仏宗の形式を残したものだったのだそうですが、その本堂が老朽化し、敷地の地盤崩壊の危険もあったことから、平成6年(1994年)に現在地に移転・新築されたということです。

 

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 こちらの称迎寺には、指定文化財6号に指定される「一石十三仏座像」があります。

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市指定文化財=第六号=
一石十三仏座像
当十三仏は、幅74センチ・高さは142センチ大の舟型石に平均一体19センチ大の座像が十三体半肉彫りされている。十三仏像というのは、当版碑の如く向かって下段右から不動(初七日仏)、釈迦(二七日)、文殊(三七日)下二段左から普賢(四七日)、地蔵(五七日)、弥勒(六七日)下三段右から薬師(七七日)、観音(百ヶ日)、勢至(一年忌)、四段左から弥陀(三年)、阿しゅく(七年)、大日(十三年)と続き、主尊に虚空蔵(三十三年忌)が配され、全体で仏の世界を表している。表面には「逆修講爾四十五人敬白」「慶長十一年二月十一日」と刻される。(逆修講爾の「爾」は、衆の意と解される)乱世から安定期に入りかけた慶長十一年(1606年)、逆修講の信者四十五人が、死後の仏事を生前に済ませるために建立した。なお十三仏は生駒山系を中心に分布するが、当十三仏は本市唯一のものである。

昭和五十八年七月
大東市教育委員会

 

そして、入り口に戻り「龍起山 龍間寺観音堂」と書かれた立派な石標が。

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 龍起山龍間寺観音堂は一石十三仏座像を背に奥に行くと存在しております。
初めて行くと駐車場かな?と引き返しそうになりますが突き進んで下さい。
ぼくはちなみに下山しかけて、もう一度気になって戻りました(笑)…案の定でした。

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『龍間寺』の本尊である『十一面千手観世音菩薩像』を祀るため、平成13年(2001年)に、ここに移転・新築したものだそうです。

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旧龍間千手観音像
 
 この千手観音像は、龍間村東谷に所在した龍間寺の本尊として安置されていたものである。
龍間寺は奈良時代に行基菩薩によって開創されたとも伝えられるが、定かなことは不明である。江戸時代には真言宗の京都御室仁和寺に属していたようである。
 本像は、頭部に十一面を持ち、手は四十二臂とする。目は切れ長で、顔はふくよかに彫り、右膝を少し前に折る形をとる。また衣紋や天衣の襞は比較的彫りも深く丁寧で手の込んだものとするものの、やや直線的で形式化したところもみられる。像様から鎌倉期の作とも考えられていたが、近年の修復に際して体内から「承応三年山口宇兵衛作」という墨書銘が発見されたことから、復古的手法によってつくられた江戸時代前期の承応三年(1654年)の作で、手に若干の補作を見るものの当初の姿をほぼ完全に残しており、江戸時代の製作年代を特定できる貴重なものである。なお作者の山口宇兵衛については、具体的なことはわかっていない。
 この像については、延宝七年(1679年)の『河内鑑名所記』や享和元年(1801年)の『河内名所図会』にも記されており、江戸時代には河内三十三所霊場の第四番に数えられるなど、多くの人々の信仰と参詣を集めたが、戦後龍間寺が廃寺とされたため、同じ龍間の称迎寺にお堂が作られ安置されることとなった。

 平成十三年十一月
大東市教育委員会
龍間寺観音堂護持会

 

なんと!こちらの扉…自動扉なんですよ。
中から出る時は押しボタンで開きますが、不思議と少し笑けてしまいました(ニヤッ♪)。

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  龍間寺は龍起山と号し、河内三十三所霊場の第四番で「あしひきのやまをのぼるたつまてらながれも清き谷川のみづ」という御詠歌もあり、古く聖武天皇の天平時代に行基菩薩が開基。元禄5年(1692)の寺社改帳によると、真言宗、この観音像は当初、鎌倉時代の作と考えられていたそうですが、近年の修復の際、像の体内から「承応三年山口宇兵衛作」という墨書銘が発見されたことから、江戸時代前期の承応3年(1654年)に、山口宇兵衛によって、鎌倉時代の作風を用いて造られたもの、ということが分かったのだそうです。いずれにしても、製作年代を江戸時代と特定できる、大東市最古の貴重なものなのだそうです。

※黒四角枠は、浪速ぶらり探訪より。

(亮)

nami

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