【大東】『大神社』新田山王宮、大東市に珍しい祭神!大山咋命(おおやまくいのみこと)が祀られているところ。
大東市新田東本町に鎮座する【大神社】(だいじんじゃ)。新田山王宮と呼ばれています。
由緒 山王宮
祭神 大山咋命(おおやまくいのみこと)
祭礼 十月二十日
新田という呼称は、当時の既存の集落に対し、新しく開拓された土地であるところから付けられたものである。 しかし、豊臣秀吉の太閤検地を受けており、その時点での新田村であり、その開拓の起源は戦国期に遡るといえよう。
伝承によれば、当地の開拓を手がけたのは、近江(滋賀県)から移って来た人達であった。 そこで氏神も故郷の神である山王宮(日吉神社)をこの地に勧請した、という。
改築前の社殿には享保二年(1717)の棟札があり、その時に新築されて二百七十年間、 この間には氏子による修築が加えられていた。 しかし、風雪に耐えた社殿も損みがひどくなり、昭和五十九年に浄財を募り、 同年四月着工十月吉日の新築となった。
享保七年(1722)の新田村明細帳には、氏神山王宮権現・境内七畝歩と記されている。 さらに文政八年(1825)に本殿覆屋、天保五年(1834)には、 拝殿及び本殿へのつなぎ廊下が建てられ、江戸期を通じて徐々に社容整備が進められて来た。
また、当時、村の行政区域は東西に分けられており、祭礼日には東西それぞれから二台のダンジリが引き廻され、 宵宮には、にわか(芝居)なども行われていたことが記録されている。
従って、山王宮は新田村の成立・発展と共に歩んできた当地の証人である。
なお、境内にある大神社及び社務所は昭和四十八年に、 福島社・大嶋社(稲荷社)は昭和五十二年に老朽によりそれぞれ新築再建された。
昭和五十九年十月吉日建立 氏子中一同
勧請(かんじょう):神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること
境内末社 大嶋社 と 大神社 御祭神;大神大明神
境内末社 福島社 御祭神;福嶋大明神
(亮)